劇場文化

2016年1月15日

【黒蜥蜴】探偵小説と通俗長篇(笠井潔)

カテゴリー: 2016

 SFの愛読者だった三島由紀夫は、アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』を構想も文体も最高水準の作品だと絶賛した。また三島自身も、広義SFに分類できる長篇小説『美しい星』を書いている。
 大戦間の時代に小説ジャンルとして形をなしたのは、SFに限らない。探偵小説もまた第一次大戦後の英米でジャンル的に確立された。しかし三島はSFと違って、「推理小説はトリッキイだからいやだ」(「推理小説批判」)と公言している。
「とにかく古典的名作といへども、ポオの短編を除いて、推理小説といふものは文学ではない。わかりきつたことだが、世間がこれを文学と思ひ込みさうな風潮もないではないのである」というのが、このエッセイの結論だ。「推理小説批判」が書かれた時期(1960年7月27日の読売新聞)から、これは純文学変質論の平野謙など、文壇批評家による松本清張の高評価への異論だろう。
 三島由紀夫の創作には、膨大な小説作品の他に少なくない数の戯曲がある。『近代能楽集』、『サド公爵夫人』、『鹿鳴館』、『わが友ヒットラー』など傑作揃いだが、なかでも人気が高いのは『黒蜥蜴』だ。オリジナル作品以外では、三島の戯曲は能や歌舞伎、オスカー・ワイルドやダンヌンツィオなど外国作家の作品の翻案が目立ち、日本の近代小説を戯曲化した例は、原作が芥川龍之介の『地獄変』と江戸川乱歩の『黒蜥蜴』の二篇に留まる。
 乱歩の長篇小説『黒蜥蜴』の方も依然として高い人気で、たとえば昨年の夏の連続TVアニメ「乱歩奇譚」には黒蜥蜴が重要キャラクターとして登場していたし、昨年12月には真矢ミキ主演のTVドラマ「黒蜥蜴」が放映されている。
 ところで江戸川乱歩は探偵小説作家だし、『黒蜥蜴』は探偵小説だ。探偵小説嫌いを公言する三島は、どうして乱歩作『黒蜥蜴』を戯曲化したのだろう。
 考えてみると、この作家の探偵小説嫌いには、いささか納得できないところがある。三島によれば、小説は刑事訴訟法を手本にしなければならない。「裁判が確定するまでは、被告はまだ犯人ではなく、容疑者にとどまる。その容疑をとことんまで追いつめ、しかも公平に整理して、のっぴきならぬ証拠を追求して、ついに犯人に仕立てあげるわけである。/小説の場合は、この『証拠』を『主題』に置きかえれば、あとは全く同じだと私は考えた」。このエッセイのタイトルは「論理で責めていく」だが、探偵小説こそ論理的な構成を絶対条件とする小説形式である。ここでは探偵小説の創始者エドガー・アラン・ポオが、同時に「構成の原理」の作者でもあった事実を想起しなければならない。詩作に際して設計性や構築性を第一義としたポオだからこそ、結末から書かれる特異な小説形式を発明しえた。
 ところが三島は、登場人物の「容疑をとことんまで追いつめ、しかも公平に整理して、のっぴきならぬ証拠を追求して、ついに犯人」であることを論理的に究明するタイプの小説は気に喰わないという。その真意はどこにあるのか。
「推理小説批判」では、探偵小説読者に評価の高いエラリイ・クイーン『Yの悲劇』が取りあげられている。ハッター家のゴシック調の描写が大袈裟だとか、探偵役のドルリー・レーンの性格が気障でわざとらしい、などなどの点は好みの問題といえる。それぞれ性格づけがなされていても、その他の登場人物は真犯人を隠蔽するため作中に配置された木偶人形にすぎないというのが、三島による『Yの悲劇』批判、ひいては探偵小説批判の核心だろう。しかし小説の構築性を徹底化すれば、人物は材木や釘のような構築物の部品に還元されてしまうのではないか。
「私は軟体動物のような日本の小説がきらいなあまりに、むしろこういうリゴリスム(厳格主義)を固執するようになった」と三島は語るが、構築への意志の不徹底性が、この作家を探偵小説嫌いにさせたような気もする。
 無構築的で「軟体動物のような日本の小説」が支配的だった戦前期、欧米のような探偵小説をめざした江戸川乱歩は悪戦苦闘を余儀なくされた。乱歩によれば、第二次大戦直後の横溝正史『本陣殺人事件』まで、成功した長篇探偵小説は日本に存在しなかったのである。
 デビュー作「二銭銅貨」のような、論理的な謎解き興味を優先する探偵小説の創作に行き詰まり、乱歩自身が1929年の『蜘蛛男』の成功を転機として、猟奇趣味を前景化した通俗長篇に方向転換していく。「D坂の殺人事件」の明智小五郎は、ヴァルター・ベンヤミンが描くところのボードレールにも似た都市遊民だったが、通俗長篇の時代には拳銃を構えた冒険活劇のヒーローに変身してしまう。
 三島由紀夫は初期乱歩の論理的な探偵小説でなく、昭和初年代の「エロ・グロ・ナンセンス」の世相と共鳴して絶大な人気を呼んだ通俗長篇を好んでいた。通俗長篇の代表作である『黒蜥蜴』を戯曲化したのは、この作家にとって当然の判断だったろう。

【筆者プロフィール】
笠井潔 KASAI Kiyoshi
1948年東京生まれ。小説家、文芸評論家。79年『バイバイ、エンジェル』で第6回角川小説賞を受賞。2003年には『オイディプス症候群』と『探偵小説論序説』で第3回本格ミステリ大賞小説部門と評論・研究部門を同時受賞。12年には『探偵小説と叙述トリック』で第12回本格ミステリ大賞評論・研究部門を受賞。